最近気に入った本です。
『世界はおわらない』
ジェラルディン・マコックラン著
06年刊 主婦の友社
チョコレートの箱みたいな装丁だと思うのは
私だけでしょうか。。
でも中身は旧約聖書の「ノアの方舟」の物語。
旧約聖書と一番異なっているのは、
聖書には出てこないノアの娘・ティムナが登場する事。
この物語も大筋では聖書に書いてある通りに進んでいきますが、
その陰に隠れるようにしてティムナがノアとは別の道を切りひらいていくのです。
この物語では、「何を信じるか」ということが大きなテーマになっています。
ノアはもちろん自分を信じ、自分の信仰を信じ、神を信じています。
そんなノアを完璧と信じ、自分を信じるよりも先に
神を信じようとする息子たちは、
洪水後の楽園を夢見てどこか狂信的になっていきます。
そして、大洪水という異常な状況の中、
ティムナは何を信じれば良いのか分からず混乱しながら、
少しずつ自分が信じられるものを見付けていくのです。
大洪水が起こっても、世界は浄化なんかされず、
正しさも過ちも終わらず、人がいる限りすべてが残っていく。
「世界はおわらない」という題名がそれを暗示しているように思えます。
じゃあ何のために洪水が起こったのか?というと、
究極の状態で人が何を選択するかという
「お試し」だったのかもしれません。
もしそこで選択を間違えたとしても、
それは「過ちの種」「嘘やごまかしの種」として後の世界に根付き、
生き残っていくのだと考えれば、
どんな選択も間違いとは言えないのでしょう。
ノアの妻でありティムナの母であるアマは、三男の妻ツィラに
「ノアは間違っていたと言うんですか」と尋ねられてこう答えます。
「ひとりの男の頭は、神さまの意図をすべておさめるには、
あまりにも小さいということよ」と。
読んでいる最中は、
ずっとずっと降り続く雨と洪水、いつも湿っている服、
カビが生え腐っていく食料、舟に漂う動物たちの臭い…
といった記述が続いて辛くなりますが、
それと共に家族それぞれの思いや葛藤を描き出していく
著者の手腕は見事です。
←同じ著者の本で
もう少し気楽に読めるのはこちら。
『不思議を売る男』
98年刊 偕成社
著者名の訳は統一されていなくて、
この本では「ジェラルディン・マコーリアン」と
なっています。
本によって「マコーリン」「マッコーリーン」等、完全にバラバラなので
検索する方は「Geraldine McCaughrean」でどうぞ。
これは児童書ですが、大人でも充分楽しめる内容。
主人公エイルサが偶然出会った謎の男MCC・バークシャーは、
エイルサの母親がやっている古道具店に押しかけてきて
ほとんど無理矢理住み込み店員になってしまいます。
当惑していたエイルサ親子ですが、そんな心配をよそに
MCCは店に来た客たちに古道具の由来を雄弁に語って聞かせます。
古道具の由来だけでなく、なぜかその客の人生をも同時に語ってしまう
不思議なMCCの物語は、たちまち客を、
そしてエイルサ親子をも魅了していくのです。。
MCCのお話は章ごとに一つずつ語られているので、
まるで短編集を読んでいるかのよう。
MCCが嘘つき呼ばわりされる場面では、
MCCは、自分が語っているのは
「嘘」ではなく「お話」なのだと言います。
人や物がまとっている空気やムード、
そして誰もが漠然と感じている思いやイメージなど、
本来言葉に出来ないものを
言葉に落とし込んだものが「お話」。
それは単なる「説明」とは別のもの。
言葉という限定されたもので表現されていながら、
まるで音楽のように自然に心にしみこんでくる…
お話にはそんな力があります。
ちなみに、MCCの物語の中には占い師がチラッと登場します。
賭け屋の仕事に失敗して破産し、占い師になったという
ある意味最悪な占い師なのですが(笑)
彼に関する記述はこうです。
“今ではぺドリックは、
若い女性に将来はハンサムな花婿と結婚できるといってやったり、
母親に子どもが出世するといってやったりして暮らしていた。
人びとにささやかな喜びをあたえる仕事をしていたわけで、
あくどいことはなにひとつしていなかった。”
つまり占い師も「お話を提供する人」として描かれているのですが、
私は著者のこういう捉え方はとても好きです。
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